大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和41年(ワ)1015号 判決

原告

山崎胖

原告

山崎千代子

右両名訴訟代理人

坂根徳博

右訴訟復代理人

椎原国隆

被告

千葉県

右代表者

友納武人

右訴訟代理人

四名

被告

田島正明

右訴訟代理人

伊藤庄治

主文

1  被告らは各自、原告ら各々に対し、金四、〇二〇、〇〇〇円およびうち金三、七二〇、〇〇〇円に対する昭和四一年六月一日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを四分し、その三を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

4  この判決の原告ら勝訴の部分は仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら。「被告らは各自、原告ら各々に対し金四、九二〇、〇〇〇円およびうち金四、三二〇、〇〇〇円に対する昭和四一年六月一日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決および仮執行の宣言を求める。

二、被告千葉県。「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、仮定的に担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求める。

三、被告田島正明。「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。

第二、原告らの請求原因

一、事故の発生

昭和四〇年七月二五日午後一一時三〇分頃、被告田島正明(以下被告田島という。)は、普通乗用自動車五め三、八三九号(以下本件自動車という。)の助手席に山崎晋(以下被害者という。)を同乗させてこれを運転し、東京方面から千葉県木更津方面に向け、千葉市神明町三五七番地先の道路(以下本件道路という。)を進行中、同所の都川にかかつている寒川新大橋(以下本件橋または単に橋という。)の左側欄干の始端の親柱に本件自動車を衝突させ、このため被害者は頭蓋底骨折の傷害を受けて翌二六日午前一時二〇分頃死亡するに至つた。

二、被告千葉県の責任

本件道路は、東京方面から本件橋にさしかかる約一、〇〇〇米位手前からは橋の直前でゆるく右に彎曲している外ほぼ直線で、この間車道幅員は一七米で、橋の手前約二七〇米の間は車道の両側にさらに幅員約三米の車道より一段高い歩道が設置されている庁い道路であるが、この橋の全幅員が七米、橋上の道路幅員が六・五米しかないため、橋のかかり口において急に道路幅員が狭くなつている。橋の東京寄り端の左右両側(欄干の端に当る位置)にはコンクリート製の親柱が設置されていたが、東京方面から向つて左側の親柱の位置は、橋の手前の道路車道左側部分(センターラインより左側の部分)の中心よりもさらに右寄り(センターライン寄り)の前方にあつた。そして本件道路は橋上の部分を含めて舗装されていて平坦である。

右のように橋の幅員が狭いため道路幅員が急に狭くなるような場所においては、ことに夜間通行する車両の運転者がこのことに気付かずあるいは気付くのが遅れ、直進して親柱に衝突し、あるいは橋を外れて川に転落するなどの危険があるから、このような危険を防止するためには、橋にさしかかる手前にその先で急に道路幅員が狭くなつている旨の道路標識を、橋のかかり口附近に右の道路状況を示すに足る照明を、橋のかかり口手前の道路左側から親柱の位置に達するゆるく彎曲したガードレールを、それぞれ設置するなどして運転者に右の状況を早く認識させ、右の衝突、転落を回避できるような管理措置が構ぜられていなければならない。しかるに本件道路の橋の手前には当時何らこのような設備がなかつたのであり、これは本件道路の管理に瑕疵があつたものといわなければならない。

被告田島は本件自動車を運転して、東京方面から本件道路の左側部分左側端寄りを進行し本件橋にさしかかつたところ、前記の管理の瑕疵のため、前記親柱と至近距離に至つて始めて、自車の前照灯により前方右寄りにこれを発見し、急制動をかけたが及ばず、親柱に本件自動車を衝突させて、本件事故に至つたものであるから、本件事故は右の本件道路の管理の瑕疵により発生したものというべきである。

そして本件道路は一般交通の用に供される公の営造物であり、被告千葉県の機関である千葉県知事がその管理権限を有していたものであるから、被告千葉県は国家賠償法第二条第一項に基づき、本件事故による後記損害を賠償すべき責任がある。

三、被告田島の責任

被告田島としては本件自動車の運転に当り、当時は夜間であつて事故現場附近は暗かつたのであるから、特に進路前方の注視を厳にし、もつて前方の障害をより早く発見してそれに応じて運転の安全を確保すべき注意義務があつたものというべきところ、これを怠つた過失により、急に道路の幅員が狭くなつていることおよび親柱の存在を発見するのが遅れて、本件事故の発生を見たものである。

よつて同被告も民法第七〇九条に基づき、本件事故による後記損害を賠償する責任がある。

四、損 害

(一)  被害者の死亡による得べかりし利益の喪失

被害者は昭和一七年六月二六日生れで事故当時二三才の健康な男子であり、高等学校卒業後の昭和三六年四月から株式会社三越(以下三越という。)に就職し、見習期間を経て同年五月三一日本採用となつたものであつて、本件事故に遭わなければ事故の翌年の昭和四一年六月一日を基準日として停年の満五五才に達する直前の昭和七二年五月三一日までの三一年間、三越に勤務して月給および賞与を受けるはずであつた。そしてその月収は右基準日に始まる一年間は金二五、〇〇〇円を下らず、その後一年(毎年六月一日)に、別紙計算表③欄とのおり昭和四八年までは一、二〇〇円、その後昭和六三年までは一、四〇〇円、その後は一、〇〇〇円をそれぞれ下らない額の昇給があるはずであり、また賞与収入は毎年三月と九月の二回それぞれ月収の二カ月分を下らないはずであつた。他方被害者が右の収入を得るために必要な生活費は、収入の上昇に伴いまた将来妻子を養育するようになるに伴つて、その収入に対する割合は次第に減少するものと推測されるから、これを多めにみても、昭和四四年五月(満二六歳)までは収入の八割、以後昭和四九年五月(満三一歳)までは収入の七割、その後は月収五〇、〇〇〇円未満の月においては二〇、〇〇〇円、月収(賞与の支給される月はそれを含めて)が五〇、〇〇〇円以上の月においては五〇、〇〇〇円以上一〇、〇〇〇円に達する毎に右の二〇、〇〇〇円に二、〇〇〇円を加算した額とみるのが相当である。右によつて計算した月収および賞与収入を年毎に合算した年収(別紙計算表⑥欄)から、月の生活費を年毎に合算した年間生活費(同表⑦欄)を差し引いて算出した年毎の純益(同表⑧欄)を被害者は本件事故に基づき前記稼働期間にわたつて喪失したものというべく、これから年毎に右基準日の前日(昭和四一年五月三一日)からの年五分の割合の中間利息をホフマン式計算方法によつて控除し、これを合算して基準日の前日における一時払額を求めると別紙計算表記載のとおり金六、四五〇、〇〇〇円(但し一万円未満切捨)となり、被害者は本件事故に基づき被告らに対し同額の損害賠償請求権を取得した。

原告らは被害者の父、母として、被害者の死亡により二分の一宛相続分をもつて相続により被害者の権利を承継したから、右請求権の二分の一の金三、二二〇、〇〇〇円(一万円未満切捨)宛を承継したところ、原告らは本件事故に基づき、自動車損害賠償責任保険による保険金五〇〇、〇〇〇円の二分の一の金二五〇、〇〇〇円宛を受領したから、これを差し引くと、右のうち被告らに請求しうべき残額は各金二、九七〇、〇〇〇円となる。

(二)  被害者の慰藉料

本件事故により死亡した被害者の生命喪失による精神的苦痛は甚大であつて、これを金銭をもつて償うためには被害者において金一、二〇〇、〇〇〇円の支払いを受けるべきが相当であつて、被害者は被告らに対し同額の慰藉料請求権を取得したものというべきところ、原告らは前記のとおりの相続により、右請求権の二分の一の金六〇〇、〇〇〇円宛を承継した。

(三)  原告らの慰藉料

原告らは被害者の父、母として本件事故に基づく被害者の死亡により甚大な精神的苦痛を受け、これを金銭をもつて償うためには原告らにおいて各金七五〇、〇〇〇円の支払いを受けるのが相当である。

(四)  弁護士費用

以上により原告らは被告らに対し合計各金四、三二〇、〇〇〇円の損害賠償請求権を有するところ、被告らが任意にこれを弁済しないので、原告らはその請求のため東京弁護士会所属弁護士坂根徳博に対し、訴訟提起を委任し、同会の弁護士報酬規定による報酬額の標準のうち最低料率による手数料および謝金を、第一審判決言渡日に支払う旨約した。原告らの右各請求権の合算額金八、六四〇、〇〇〇円に対応する手数料および謝金の最低料率は各七分であるから、これにより計算すると原告らは手数料と謝金とを合わせて各金六〇〇、〇〇〇円(一万円未満切捨)の債務を右弁護士に対し、本判決言渡日を支払日として負つたものであり、これも本件事故に基づく原告らの損害というべきである。

五、よつて被告らは、原告ら各々に対し右(一)ないし(四)の合計金四、九二〇、〇〇〇円およびうち(四)を除く金四、三二〇、〇〇〇円についてはその損害発生の後である昭和四一年六月一日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

第三、請求原因に対する被告千葉県の答弁

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、同第二項の事実中、本件道路が、東京方面から本件橋にさしかかる約一、〇〇〇米位手前からは、橋の直前でゆるく右に彎曲している外ほぼ直線で、この間の車道幅員が一七米で、橋の手前約二七〇米の間にはさらに幅員三米の車道より一段高い歩道が両側に設置されていたこと、本件橋の全幅員が七米、橋上の道路幅員が六五であること、橋の東京寄り端の左右両側(欄干の端に当る位置)にコンクリート製の親柱が設置されていたこと、本件道路は橋上の部分を含めて舗装されていて平坦であることおよび本件道路が一般交通の用に供される公の営造物であり、被告千葉県の機関である千葉県知事がその管理権限を有していたものであることはいずれも認め、被告田島が東京方面から道路の左側部分左側端寄りを進行し、親柱と至近距離に至つて始めて、自車の前照灯により前方右寄りにこれを発見し、急制動をかけたことは不知その余は否認する。

本件道路は幅員が広く、東京方面から橋に向つて前方の見通しを妨げるものはなく、橋にさしかかつて道路の幅員が減少しているものの、橋にさしかかるところの道路左側の縁線は、左側から本件道路の橋の直前に進入する上り坂の道路と本件道路との接線によつてなだらかに橋の左端(親柱の位置)に向つて彎曲し、しかも親柱直前の道路の左脇には土手とくさむらとがあつて、道路が狭くなつている状況が遠方から認識できるようになつていたのであり、決して急激に狭くなつていたものではない。また同所附近には街灯があつてこれにより右の状況が照らされていた。従つて東京方面から本件橋にさしかかる自動車の運転者としては、右以外の照明、道路が狭くなる旨の道路標識、ガードレールなどの設備がなくても、右の状況に加えて自己の車両の前照灯の照明により、橋にさしかかつて道路が狭くなつていることは、通常の注意力をもつてすれば充分に手前から認識でき、事故の発生を未然に防止できたのであつて、右のような諸設備がなくても何ら交通上の支障がなかつたというべく本件道路の管理に瑕疵はなかつた。

また、被告田島は夜間であるのに制限時速六〇粁を超える時速約八〇粁の高速で進行し、しかも友人との行楽の途上の浮いた気持と交通の閑散なことによる安心とから、同乗者と雑談しつつ、このためセンターラインの夜光標示鋲や事故現場手前左側の街灯にも気付かないほどの注意散漫の状態で事故現場にさしかかつたのであるから、たとえ橋にさしかかる手前に道路が狭くなる旨の標識があつても同被告はこれに気付かなかつたであろうし、また同被告は橋にさしかかる手前で対向車とすれ違つて前照灯を下向きにした後、すれ違いを終えて前照灯を上向きにしたときはじめて親柱を認めて急制動をかけたが及ばなかつたものであるとすれば、たとえ原告ら主張のようにガードレールがあつても、これとの衝突による事故は避けられなかつたものというべく、仮に道路の管理に瑕疵があつたとしても、本件事故は専ら右の被告田島の過失に基づくものであつて、道路管理の瑕疵と本件事故との間には因果関係がない。

三、同第四項(一)の事実中、被害者が当時三越に勤務していたことは認めるがその余は不知。同項(二)(三)の事実はいずれも不知。同項の事実中、原告らが本件事故による損害賠償の請求のため東京弁護士会所属弁護士坂根徳博に対し、訴訟提起

を委任したこと認めるが、その余は不知。

第四、請求原因に対する被告田島の答弁

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、同第三項の事実は否認する、本件事故の原因は専ら原告ら主張のような道路の管理の瑕疵にある。

三、同第四項(一)の事実中、被害者が当時三越に勤務していたことおよび原告らが本件事故に基づき自動車損害賠償責任保険による保険金を各金二五〇、〇〇〇円宛受領したことは認め、その余は不知。同項(二)(三)の事実は不知。同項(四)の事実中原告らが本件事故に基づく損害賠償の請求のため、東京弁護士会所属弁護士坂根徳博に対し訴訟提起を委任したことおよび同会弁護士報酬規定の内容は認め、その余は不知。

第五、被告千葉県の抗弁

請求原因に対する被告千葉県の答弁第二項後半に記載のとおり、本件事故は被告田島の制限速度違反および前方注視義務違反の各過失によるものであるところ、被害者は被告田島と同じ職場の親しい先輩であり、被害者が同被告他二名の同僚に対し指導的立場に立つて本件自動車を利用して海水浴に行くことを計画実施し、その途上本件事故が発生したものであるが、被害者は運転免許を有し、事故当時運転者被告田島の隣の助手席に座つていたのであるから、同被告の運転態度につき注意を与えるべき立場にありながら、何ら注意を与えなかつたばかりか、かえつて喫煙を勧め、雑談をするなど、その注意を散漫ならしめたものであつて、同被告の前記過失を放任、助長した過失があり、被害者のこの過失も本件事故の一因というべきであるから、仮に被告千葉県に本件事故に基づく損害賠償責任があるとしても、その賠償額の算定に当り、これを斟酌すべきである。

第六、抗弁に対する原告らの答弁

抗弁事実は否認する。

第七、証拠<略>

理由

一、請求原因第一項の事実(事故の発生)は当事者間に争いがない。

二、被告千葉県の責任

(一)  事故現場の状況

本件道路が、東京方面から本件橋にさしかかる約一、〇〇〇米手前からは橋の直前でゆるく右に彎曲している外、ほぼ直線で、この間の車道幅員が一七米で、橋の手前約二七〇米の間は車道の両側にさらに車道より一段高い幅員三米の歩道が両側に設置されていること、本件橋の全幅員が七米で、橋上の道路幅員が六・五米であること、橋の東京寄り端の左右両側(欄干の端に当る位置)にコンクリート製の親柱が設置されていたことおよび本件道路は橋上の部分を含めて舗装されて平坦であることはいずれも当事者間に争いがない。

そして<証拠>を総合するとさらに次の事実が認められる。

本件道路のセンターラインは橋の手前で消えているが、別紙図面のとおり道路の中心は橋の中心に向つてほぼ一直線に延び、前示のとおり橋にさしかかつて道路幅員が狭くなつているため、左側親柱は東京方面から本件道路車道左側部分のほぼ中央を進行して直進するとちようど正面の突き当るほどの位置にあつた。そして本件道路の北側から上り坂の交差道路が別紙図面のとおり橋の手前で本件道路に進入して斜めに交わり、その交点の東京寄り端(別紙図面点)から橋のかかり口左側(左側親柱の位置)までは三十数米の距離があつて、この間に車道幅員は前記のように一七米から六・五米に狭くなつている。また本件道路車道の左側部分の歩道際にはこれに沿つて別紙図面のとおり砂が堆積しており、前記左側から交わる道路と親柱との間十数米の間の左側道路脇は別紙図面のとおり土手になつていて、この上にはかなり背の高いくさむらが生育し、その左側には住家とその附属建物がある。本件道路は前記のとおり橋にさしかかる手前でやや右方に彎曲しているが、その曲線は極めてなだらかであつて、橋の手前数百米の道路上から橋に向つて見通しの障害となるものはなく、従つて右のような橋の手前附近の状況によつて、昼間においては、通常の注意を払いさえすれば本件道路幅員が東京方面から橋に向つて狭くなつている状況を、橋にさしかかるかなり手前から見通すことが可能である。

しかしながら、本件事故発生時たる午後一一時すぎの時刻を基準として見るときは、本件事故現場附近には別紙図面点に四〇ワツトの螢光灯の街灯があつたが、これは防犯用のものであつて車両の交通のためのものではなく、前記土手、くさむら、親柱および前記のように橋にかけて道路幅員が狭くなつている状況を照らすにはほとんど用をなさないものであり、その他に東京方面から橋にさしかかる車両の運転者に、道路が狭くなつている状況を認識させるべき照明、標識等は存在しなかつた。このため当時同所にさしかかつた車両運転者としては、車両の前照灯の照明により前記のような状況を認識するほかなかつたものであるが、前記道路車道左側部分歩道際の砂の存在は車両が左側部分のほぼ中央を進行する限り何ら運転に支障のないものであるのみならず、この砂の存在および前記のとおり左側から上り坂の道路が本件道路に交わることによりその本件道路との接線が、別紙図面点附近から土手の東京寄り端(別紙図面点)附近にほぼ斜め直線をなしていることも、これを昼間仔細に観察すれば道路が次第に狭くなつていることに関連していることが観取できる程度であつて、これらの存在を車両の前照灯の照明により遠方から確認することにより、その前方で道路が狭くなていることを認識させうるようなものではなく、従つて親柱からわずか十数米手前から始まる土手およびくさむらならびにその左側にある家屋の附属建物などが前照灯の照明により前方に照らされることにより始めて、進路前方で道路幅員が狭くなつていることを予知しうるにすぎない状況であつた。

(二)  本件事故発生の経過

<証拠>を総合すると、被告田島は当日被害者他二名の三越の同僚と千葉県勝山に海水浴に行くため、本件自動車の助手席に被害者を、後部座席に他二名を同乗させてこれを運転し、午後一〇時三〇分頃新宿駅前を出発して午後一一時三〇分頃本件事故現場にさしかかり、本件道路車道の左側部分のほぼ中央を法定の制限時速毎時六〇粁(同所には指定制限速度はない。)を越える毎時七〇ないし八〇粁の速度で進行していたが、橋にさしかかる手前(後記のとおり概ね一〇〇米位手前と推認される。)で橋を越えて車道右側部分を対向進行してくる車両を認めたので進路を稍左にとり前照灯を下向きにしてこれとすれ違い、前照灯を上向きに切り換えたとたん、前照灯の照明により約四、五〇米位の前方に前記左側の親柱を発見し、(前出甲第一三号証により親柱の手前約三〇米余の地点から本件自動車の急制動によるスリツプ痕があつたことが認められるから、これにいわゆる空走時間と時速七〇ないし八〇粁は秒速約一九ないし二二米であることを考慮し、これに前出甲第一四号証の記載を総合すると、被告田島の親柱の発見地点甲第一四号証図面点――は概ね親柱の四・五〇米位手前と推認され、――甲第一八号証の「橋の手前三〇米位のところで、……狭くなつていることに気がつき」の記載も、その距離関係については字義どおりには採用し難い。――さらに、対向車を発見したときの対向車の位置は甲第一四号証によると橋を越えてわずかに東京寄りの位置であり、右の親柱発見地点よりほぼ四〇米位木更津方面寄りと推認されるから、被告田島が対向車を発見した時の本件自動車の位置――甲第一四号証図面点――はその速度が高速であつたことを考慮するとさらに右発見地点より概ね五〇米位東京寄り、即ち親柱の概ね一〇〇米位手前と推認される。――右甲第一四号証の記載中点と対向車両との距離関係は右に照らし採用しない。――)これとの衝突の危険を感じて直ちに急制動をかけたがおよばず、本件自動車はそのまま滑走前進して、親柱に衝突し、本件事故に至つたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(三)  道路の管理の瑕疵

右(一)(二)認定の事実に照らして本件道路の事故現場附近の管理の瑕疵につき考えるに、自動車の前照灯は正位置では進路前方一〇〇米の距離にある交通上の障害物を確認できる性能を有することが要求されている(昭和二六年七月二八日運輸省令第六七号道路運送車両の保安基準三二条二項二号)から、通常の事態においては車両運転者は一〇〇米手前から前記親柱ないしは本件橋の存在を発見しえ、その場合には、前示の本件事故現場の道路の状況は何ら自動車交通上危険のないものというべく、また被告田島が本件自動車の速度を法定時速毎時六〇粁以下に保つていれば、前認定のような状況で親柱を発見したとしても、これとの衝突を回避する可能性があつたことはこれを否定できないところであり、さらに前認定のように同被告は対向車が橋を越えて東京方面よりに進行した直後頃にこれを発見したのであるが、より以前に進路前方である本件橋のかかり口方面に注意を払つていれば、対向車の前照灯の照明により、本件橋および親柱の存在ならびに道路の幅員が狭くなつていることに気付きえた道理であることは後に認定するとおりであるけれども、夜間交通量の少なくなつた本件道路のような幅員の比較的広い道路においては、制限速度を越え、また道路上における障害物の少いことを見込んでさほど遠い前方までは常時眼を配ることなく車両を運転する運転者のままあることは(あくまで違法ではあるが)特に異とするほどの事態でもない。他方高速度交通機関の発達に伴い、車両運転者に極めて厳格な注意義務とそれの違反に基づく結果に対し厳重な(民事、刑事上の)責任を課するに至つている現況に鑑みるときは、道路上の交通の安全を確保するためにする道路の管理を論ずるに当つても、運転者が必ずこのような厳格な注意義務を遵守して運転することを前提にして管理されていれば足りるとはいえず、なおそれ以上のある程度の余裕をもつて、車両交通の安全を確保しうべき状態にあることを要するものというべきである。しかるところ前認定のように被告田島は親柱より概ね一〇〇米位手前で対向車を発見して前照灯を下向きに切り換え、すれ違いを終えてこれを上向きに切り換えたとき、前方四、五〇米の位置に親柱を発見した(従つて前記土手およびくさむらの東京寄り端――別紙図面点――も概ね三〇米位前方の位置にある。)ものであり、前照灯を下向きにしたときには夜間前方三〇米の距離にある交通上の障害物を確認できることが要求されている(前記保安基準三二条二項三号)にすぎないのであるから、同被告が対向車を発見して前照灯を下向きにした以後においては、もはやより以前に土手、くさむら、親柱の存在ひいて橋にかかつて道路幅員が狭くなつていることを発見することは一般的に要求できない道理であり、前認定の本件事故の態様に照らせば本件自動車の制動装置に故障があつたことを窺う資料もない。)右の時点においてはもはや本件事故の発生は避け難い状態であつたものというべく、このように制限時速を毎時一〇ないし二〇粁越える速度で進行する車両の運転者の対向車の前照灯によるその前方の道路状況の確認がわずかに遅れたことにより、対向車とのすれ違いのため必然的に道路幅員が狭くなつていることの予知が妨げられ、よつて本件のような親柱との衝突ないしは車両が橋を外れて橋下に転落する危険を包蔵する本件事故現場附近の道路の状況は、前示の趣旨に照らし本件道路交通の安全性の保持に欠けるところがあつたものといわなければならない。

結局、東京方面から進行して本件橋にさしかかる車両交通の安全を確保するためには、本件自動車のように橋のかかり口との至近距離に至るまで車両の前照灯を下向きにしておくなどの必要のある場合に備えて、車両運転者が車両の前照灯の照明によつて道路幅員が狭くなつていることを確認すべきことに全てを委ねることなく、それ以外に右の状況を予め認識させうるような設備、即ち橋のかかり口の手前に右の状況を照らしうる照明を設置し、遠方から認識できるようなガードレールを設置し(ガードレールの設置はそれによつて車両が道路から外れて親柱と衝突しあるいはは橋下に転落することを防止するのみならずその設置方法およびその白色塗料による光の反射により、道路が狭くなつている状況を遠方から認識させる効果があることは検証の結果により明らかである。)あるいは進路手前に先方で道路が狭くなる旨を予告する道路標識を設置するなどの措置が必要であつたものというべく、これらの設備がないため、高速度で進行する車両の運転者の一瞬の不注意によりあるいは一瞬他の障害物に注意を奪われることにより、橋にさしかかつて道路が狭くなっていることの発見が遅れ、事故を惹起する危険を蔵していたものであつて、これらの設備のない本件事故現場附近の本件道路の管理に瑕疵があつたものといわなければならない。

<反証排斥―省略>

(四)  道路管理の瑕疵と本件事故との因果関係

前認定のとおり被告田島は対向車とすれ違つて前照灯を上向きに切り換えた直後、上向きに切り換えた前照灯の照明によつて親柱の存在に気付いたものであることと、<証拠>を総合すると同被告は後に認定するように対向車の前照灯の照明により本件橋の存在および状況を確認することは逸したものの、当時本件自動車を運転するに当り、どの程度厳重な注意を払つたかは別として、ともかくも進路前方を見ていたものと認められ、<証拠>により認められる、本件自動車内で同被告ら四名の同乗者間で時折雑談を交わしていたとの事実も、必ずしも事故直前の状態を指すものと認められないうえ、これが車内の同乗者間に通常取り交わされる雑談の程度を越えて特に喧噪にわたつていたとも認められないから、このことをもつて右認定を左右することはできないし、同被告本人尋問の結果によると、同被告は、本件道路のセンターライン鋲および別紙図面の街灯の存在についての記憶がない旨供述するが、これのみをもつて同被告が注意散漫な状態にあつたとの証左とはならない。その他右認定を左右するに足りる証拠はない。してみるともし本件事故現場附近に、相当な距離から道路幅員が狭くなつている前記状況を確認させるような前示諸設備があれば、同被告においても、より早くこれに気付きえて、親柱との衝突を避けることができたであろうことは十分に推測しうるところであるから、前認定の本件事故発生の経過に鑑み、前示道路の瑕疵と本件事故との因果関係を否定することはとうていできないというべきである。

三、被告田島の責任

既に認定したとおり、被告田島は、対向車が橋を越えて東京方面よりに進行した直後頃にこれを発見して、前照灯を下向きにし、これとすれ違つて前照灯を上向きに切り換えた直後、進路前方四、五〇米の位置にある親柱を発見し、道路幅員が急に狭くなつている本件道路の状況を知つたのであるけれども、既に認定した本件事故現場附近の見通し状況に照らすと、被告田島としては、対向車が橋を渡り切る以前の橋上を進行している頃(前認定のとおり被告田島が対向車を発見した地点が親柱より概ね一〇〇米位手前であることから推せば、その地点より更に二、三〇米手前の地点、即ち対向車との距離にして概ね一五〇米前後隔つた地点)において既にその前照灯の照明を発見しえたはずであり、そうすれば対向自動車が橋を渡り切り、同被告が自己の車の前照灯を下向きにするまでの間に、対向車の前照灯の照明に照らされる対向車前方の状況によつて同所附近が橋のかかり口であり、道路幅員が急に狭くなつていた状況もしくはすくなくとも自己の進路前方に障害物の存することを発見することができたものと推認される。(なおその見通状況は検証調書添付第一写真――道路がせまくなる旨の標識から衝突地点まで一二六米――および甲第二一号証の写真⑦にほぼ相当し、これらによつても右の状況の発見が決して無理でないことが首肯できる。)

既に認定したように、同被告は当時夜間であるのに制限速度を越える七〇ないし八〇粁の高速で進行し、しかも<証拠>により認められるように同被告は本件違路を運転するのははじめてであり道路状況には通じていなかつたのであるから、本件自動車の運転に当つては進路前方の交通上の障害物の発見には特に意を用いるべきであるところ、対向車があるため前照灯を下向きに切り換えた場合には、これとのすれ違いを終えて前照灯を上向きに切り換えるまでの間は進路前方の照射距離が短くなるのであるから、このような場合に備えて障害物の発見とともにいち早く避譲措置を講ぜられる程度に減速すべきであり、減速しないとすれば自車の前照灯の照明にのみ頼ることなく、対向車とすれ違う以前において前もつて右記のように対向車の前照灯の照明によつても、進路前方の変化、障害物の有無を確認しておくべき注意義務があるものというべく、(制限速度を越えて進行している本件の場合においてはそのような厳格な注意義務が要求されることもまたやむをえないというべきである。)同被告はこれを怠つた過失があり、この過失も本件事故の一因となつたといわなければならない。

よつて同被告も民法第七〇九条に基づき本件事故による後記損害を賠償する責任がある。

四、過失相殺(被告千葉県の抗弁)

<証拠>によると、被害者と被告田島および同乗者の市石進、鈴木博己はともに三越に勤務する親しい同僚で、被害者と市石は被告田島より一年先に、鈴木は被告田島より一年遅れて入社したものであつたこと、右四名で相談のうえ連休と特別休暇とを利用して同被告の父の所有車である本件自動車を借りて千葉県勝山に海水浴のための旅行に出かけることになり、四名のうち先輩でもありこの種行事につき活動的な被害者が、本件自動車を借りるにつき被告田島とともにその父との交渉に当り、またこの種旅行をするにつき三越の上司に提出すべき届出の書面に責任者として届出をしたこと、右旅行に要する費用は四名で分担することとし、本件自動車の運転は免許を有する被害者、被告田島および右鈴木が交代で当ることとしていたが、往路はまず平素本件自動車の運転経験のある被告田島が担当し、被害者はその隣りの助手席に席を占めて本件事故現場まで至つたことがいずれも認められ、右の事実によれば、被害者は先輩としてまた活動的性格の持ち主として右の旅行の計画、実施につき事実上ある程度イニシアティブをとる立場にあつたことは窺えるけれども、それもわずか一、二年の職場における先輩後輩の間柄にある友人間のことであるから、被害者が右旅行全般につき他の三名を指揮監督すべき立場にあつたものとみることはできないし、まして本件自動車につき平素の運転経験を有する被告田島の運転態度については、それが余程無暴危険な程度に至らない限り、これに対し注意を与えるべき立場にあつたものとは到底いい難い。そして先に認定したとおり本件事故の一因は被告田島の前方注視義務違反および制限速度遵守義務違反にあるけれども、これらによつても先に認定したその態様に照らし、同乗者として当然に注意を与えなければならない程の無暴危険な運転と目することはできないから、被害者が被告田島の右の運転上の過失に対し注意を与えなかつたことをもつて、これを被害者の過失ということはできない。

また前示のとおり、右四名が車内で時折交わした雑談も、車内で同乗者が通常交わす雑談の程度を越えて特に被告田島の運転に支障を来たすほどの喧噪にわつたとは認められないし、前出甲第一八号証によると、被害者は同被告の運転中同被告に喫煙を勧めたことがあることが認められるが、長距離の運転に当つて同乗者が運転に支障のない限度で運転者に喫煙を勧めることは特に異とするに足りないし、またそのことが本件事故直前における同被告の前示過失を誘発したとも認められないから、被害者に、同乗者として、運転者たる同被告の注意を散漫ならしめた本件事故と因果関係を有する過失があるとも認められない。

よつて過失相殺の抗弁は採用できない。

五、損害

(一)  被害者の死亡による得べかりし利益の喪失

被害者が本件事故当時三越に勤務していたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、被害者は昭和一七年六月一六日生れで事故当時二三才の健康な男子であり、高等学校卒業後の昭和三六年三月に三越に就職し、見習期間を経て同年五月三一日本採用となり、給与と賞与とを受けていたことおよび三越における男子の停年は満五五才であることが認められ、厚生省発表の第一〇図生命表による二三才余の男子の平均余命が四四、九七年以上であることから推して、被害者は本件事故に遭わなければなお右と同程度生存しえ、事故の翌年の昭和四一年六月一日を基準日として停年の五五才に達する直前の昭和七二年五月三一日までの三一年間三越に勤続して、三越から給与および賞与を受けたであろうと推認される。

そして<証拠>を総合すると、被害者の給与および賞与の額につき、前記基準日に始まる初年度の月収は金一五、〇〇〇円を下らず、三越では毎年六月一日付で昇給があつて、その昇給額は原告らの主張する昭和四八年までは一、二〇〇円その後昭和六三年までは一、四〇〇円、その後は一、〇〇〇円の額をそれぞれ下らないであろうこと、また毎年三月と九月の年二回各月収の二ケ月分宛を下らない賞与の支給があるであろうことがいずれも認められ、(右の昇給額および賞与の月収に対する割合は、証人村川謙太郎の証言により認められる昭和三八年度から昭和四〇年度にかけての三越におけるベースアツプを除く昇給額および賞与の月収に対する割合ならびに前出甲第五号証(財団法人中労委会館刊行の中央労働時報掲載の中央労働委員会事務局による賃金事情調査)による百貨店七社平均の昭和三九年当時の年令構成別の賃金体系(第一三表)から推算しうる昇給の割合、昭和三八年七月から昭和三九年六月に至る一年間の昇給率(第一六表―一)および昭和三八年末と和年三九年夏期における各一時金支給額の月収換算率(第一五表―一)等に対比して、相当控え目な数値であつて、将来の可変的要素を考慮しても、公知の事実である三越の会社規模、百貨店業界における地位等をも考慮すれば、右数値に基づく被害者の将来の収入の推計はなお高度の蓋然性を有するものと認められる。)これを左右するに足る証拠はない。

他方被害者が右収入をあげるために要する将来の生活費として原告らの自認する、昭和四四年五月(満二六才)までは収入の八割、その後昭和四九年五月(満三一才)までは収入の七割その後は月収五〇、〇〇〇円未満の月においては月額金二〇、〇〇〇円、月収(賞与のある月はこれを含めて)が五〇、〇〇〇円以上の月においては、五〇、〇〇〇円以上一〇、〇〇〇円に達する毎に月額右二〇、〇〇〇円に二、〇〇〇円を加算した額は、それぞれ生活費として相当な額とみるべく(生活費は収入の上昇に伴い、また妻子を養育するようになるに伴つて、収入に対する比率が次第に減少するものであることは経験則上明らかであり、右によつて推計すると別紙計算表のとおり、年間生活費の年間収入に対する比率は年とともに漸減して、満三一才で四割七分、満四一才で三割六分弱、満五三才で三割三分強となるが、これらの比率は、これらの年令においては被害者においても既に妻帯している蓋然性が高いし、これらの年令における別紙計算表掲記の各収入額のもとではある程度の貯蓄もなされることが一般であることに鑑みれば、低率にすぎるとはいえず、また右により推計すると同表のとおり、満三〇才当時における生活費が全稼働期間を通じて最高となり、これは一見不合理であるかのように思われるか、それも満三〇才までの生活費を極めて多目に見たことの結果にすぎず、なお全体を通じてみれば、将来の生活費の推測として、高度の蓋然性を失うものではない。)また被害者の将来の生活費がこれにより推計した額を越えるとみるべき特段の資料もない。

よつて被害者は、右により推計した各月収および賞与収入を年毎に合算した年収(別級計算表⑥欄)から、右により推計した各月の生活費を年毎に合算した年間生活費(同表⑦欄)を差し引いた年毎の純益(同表⑧欄)を、昭和四一年六月一日から昭和七二年五月三一までの三一年間分にわたつて、本件事故に基づき失つたものというべく、これらからそれぞれホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除し(同表⑪欄)右全稼働時間にわたつて合算して前記基準日の前日における一時払額を求めると、別紙計算表の記載のとおり金六、四五〇、〇〇〇円(一万円未満切捨)となることが計数上明らかであり、被害者は本件事故に基づき被告らに対し同額の損害賠償請求権を取得したものということができる。

<証拠>によると原告らは被害者の父、母であると認められ、被害者の死亡により二分の一宛の相続分をもつて相続により被害者の権利を承継し、従つて原告らは被害者の右請求権の二分の一の金三、二二〇、〇〇〇円(一万円未満切捨)宛をそれぞれ承継したものというべく、原告らが本件事故に基づき自動車損害賠償責任保険による保険金五〇〇、〇〇〇円の二分の一の金二五〇、〇〇〇円宛を受領し、これを右の相続した請求権から差し引くべきことは原告らの自認するところであるから、これを差し引くと原告らが被告らに請求しうべき残額は各金二、九七〇、〇〇〇円となる。

(二) 被害者の慰藉料

原告らは死亡した被害者が、その生命を害されたことによつて蒙つた精神上の損害に対する慰藉料請求権を原告らが相続した旨主張する。

よつて判断するに、元来死者が自分の死亡により精神的損害を蒙り、これによつて損害賠償請求権を生存中取得するというのは、余りに技巧的な構成で不自然であるのみならず、仮に原告らのいうところを、被害者が致命傷を受けたことにより蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料の請求と解しても、かかる精神的苦痛というのは高度に個人的人格的色彩の強い、他に移転しえない法益の侵害に基づく損害であるというべく、その賠償のための慰藉料請求権はその本質上譲渡性および一般債権者のための共同担保適格性を有しないことはもちろん相続の対象ともなりえない一身専属権であると解すべきであり、被害者が事故に基づく負傷により死亡した場合は相続人が被害者の取得した権利を相続するというのではなく、被害者の近親者たる父母、配偶者および子がいわば被害者に代わつて、その固有の慰藉料請求権を取得するというのが民法第七〇九条ないし第七一一条の合理的解釈であると考えられる。もつともこれら近親者の固有の慰藉料請求権と並んで別に被害者本人の慰藉料請求権の相続をも認めることは、一見遺族の保護を厚くする所以であるように見えるのであるけれども、遺族の保護のためには、その固有の慰藉料の額の算定にあたり遺族の精神的損害とともに被害者本人の精神的損害をも斟酌して適正を期すれば十分であり、請求権の二本立てを認めることはいたずらに法的構成を複雑にし権利関係を難解錯綜せしめるのみである。なお被害者に父母、配偶者、子がなく、これら以外の者のみが相続人となるような場合にも、被害者との関係において特段の事情のある者については、民法第七〇九条、第七一〇条によりあるいは民法第七一一条の準用により前示近親者の有すると同様の固有の慰藉料請求権が認められるのであるから、(このことは被害者に父母配偶者、子がある場合にも理論的に異るところはないが、これらの者がいない場合にはこれら以外の相続人となるべき者の固有の慰藉料請求権を認めるべき特段の事情の存する可能性が大きいであろう。)そのような特段の事情のない父母、配偶者、子以外の相続人が被害者の慰藉料請求権を相続しえないからといつて、遺族の保護に欠けるところがあるとはいい難い。更に、右のとおり慰藉料請求権の相続を否定することは、被害者が死亡に比肩すべき重傷を受けたが死亡するに至らない場合に被害者とその近親者とに伴わせて慰藉料請求権が認められうることあるいは被害者が受傷による慰藉料を受領した後に受傷が原因で死亡した場合との対比において、不均衡のようであるが前者においては被害者がなお生存しているのであるから、むしろ当然のことで、あえて異とするに足りず、(元々そのような場合近親者について固有の慰藉料請求権が認められるのは例外である。)後者については被害者が既に受傷による慰藉料を受領したことは、死亡による遺族の固有の慰藉料額を算定するにつき当然斟酌さるべきであろうから、実質的には彼此さほど均衡を失することはないものと考えられる。

要するに、慰藉料請求権の相続性を否定しても、実質的には遺族の保護に欠けるところがほとんどなく、しかも請求権を併存させることによる権利関係の理論的、実質的錯綜へたとえば相続性を肯定すれば、何故に民法第七一一条所定の者が被害者の慰藉料請求権を相続しながら、さらに当然に固有の慰藉料請求権が認められるのかは理論的にかなり困難な問題であるし、実務上多く見られる遺族が固有の慰藉料のみ請求する場合と固有の慰藉料と相続した慰藉料とを併わせて請求する場合との慰藉料額の均衡に苦慮せざるをえず、あえてこの均衡を計ろうとすれば、この両者を各別に前渡して訴求した場合の取り扱いに困難な問題を残すことになる。また相続性があれば譲渡性もあるのか、譲渡性を認めないとすれば何故相続性を認めながら譲渡性を認めないのか、譲渡性を認めるとすれば債権者からの差押なども認めるのか、等解決を迫られる多くの難問が生ずる。)による困難を回避することができるのである。

以上のとおりであるので、原告らが、被害者の有した慰藉料請求権を相続により取得したとの主張はそれ自体理由がない。

(三)  原告らの慰藉料

原告らが被害者の父、母であることは前認定のとおりであり<証拠>によると被害者は本件事故当時未婚の男子で原告らと同居していたものであることが認められ、右事実によれば、原告らは本件事故に基づく被害者の死亡により甚大な精神的苦痛を蒙つたものというべく、右の事実に本件事故の態様等諸般の事情を勘案すると、この苦痛を金銭をもつて償うためには原告らにおいて各金七五〇、〇〇〇円の支払いを受けるのが相当と認められる。

(四)  弁護士費用

以上により各原告は被告ら各自に対し(三)の合計金三、七二〇、〇〇〇円の損害賠償請求権を有するものというべきところ、被告らがこれを任意に弁済しないことは弁論の全趣旨により明らかであり、原告らがその請求のため東京弁護士会所属弁護士坂根徳博に対し訴訟提起を委任したことは当事者間に争いがなく<証拠>によると、原告らは同弁護士に対し右委

任に基づく報酬として、東京弁護士会の弁護士報酬規定による報酬額の標準のうち最低料率による手数料および謝金を、第一審判決言渡日に支払う旨約したこと、右報酬規定による原告らの右各請求権の合算額金七、四四〇、〇〇〇円に対応する手数料および謝金の最低料率は各七分(合計一割四分)であることが認められ、これによれば原告らは手数料と謝金とを合わせて各金五二〇、〇〇〇円(原告らの計算方法に従い一万円未満切捨)の債務を、右弁護士に対し本判決言渡日を支払日として負うことになつたと認められるが、本件事案の難易、前記認容額その他本件にあられた一切の事情を勘案すると、このうち本件事故に基づく原告らの損害として被告らに賠償させるべき金額は原告ら各々につき前記認容額の一割弱に当る金三〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認められる。

六、以上により、被告らは各自原告らに対し、前項(一)、(三)、(四)の合計各金四、〇二〇、〇〇〇円および前項(一)、(三)の合計各金三、七二〇、〇〇〇円についてはその損害発生の後であること明らかな昭和四一年六月一日から各完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し、なお被告千葉県の仮執行宣言免脱の申立は相当でないと認めてこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(吉岡進 羽生雅則 浜崎恭生)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例